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浦島キャンプ場物語 M

            「浦島キャンプ場」存続の大ピンチ
    製油所が海岸埋め立て計画

  『丸善石油下津製油所が和歌山県海草郡

下津町の和歌浦湾南岸に、海面122万

平方メートル、山林など33万平方メー

トル、計155万平方メートルの工場用

地造成計画をこのほど明らかにしたが、

この場所は、関西随一といわれるボーイ

スカウトのキャンプ場のあるところ。

 

造成が実現すると、キャンプ場が失われ

るため、和歌山県下のボーイスカウトの

OBなどで組織している「社団法人浦島

キャンプ維持会」(西田幸一会長)では、

22日に緊急委員会を開き、キャンプ場を

残す方向で運動方針を決める。

同キャンプ場は埋め立て予定地の同町荒崎〜戸坂間の中央にあり、

前面が和歌浦湾、背に小山を控え、しかも人家から離れた

教育キャンプの最適地。戦後間もなく、関西でボーイスカウト活動を

していたハリー・H・シェパードさんが米軍大阪下士官クラブから

50数万円の寄付を受けて、約2000平方メートルの土地を買い、

「社団法人 浦島キャンプ維持会」を創設

少年、少女が自然にはぐくまれて育つよう訓練してきた。

海のない奈良県などからもボーイスカウト、臨海学校、4Hクラブの

若者らが訪れ、関西ボーイスカウトの“聖地”になっていたという。

現在でも春から秋にかけて約1000人のボーイスカウトを訓練して

いるが、施設などが老朽化したため、今年になって約500万円の

費用でキャビン建設、井戸の整備、石垣作りなどの「浦島キャンプ場

再建計画」を立てていたところだった。

 

降ってわいたような埋め立て計画を知った浦島キャンプ維持会の

竹田美隆会員らが下津町に問い合わせたところ、橋本元市町長は

「連絡せず悪かった。適当な代替地を用意しているので認めてほしい」

と答えている。しかし、竹田さんらは「浦島キャンプ場のような自然

環境に恵まれた場所はないので、埋め立てにはあくまで反対だ」と

いっている。』

 

 

 

 

                             昭和47(1972)年5月22日付

「朝日新聞」夕刊8面記事より