この物語は、昭和25年(1950)から始まります。
太平洋戦争終戦(1945)後、当時、和歌山に駐在していた在日米軍近畿民事部・和歌山軍政部勤の一人の若いアメリカ人(Harry H. Shepherd)によって、和歌山県下のボーイスカウト運動の復活がなされた。(日本各地でのスカウト運動の復活は、アメリカの支援に負うところが大である。)
シェパードさんは友人たちと余暇を和歌浦湾でヨットに乗って楽しんでいたが、強風にあおられ下津町大崎田ノ浦海岸に流れ着いた。そこは、当時「丸善石油下津製油所」の保養所であった。
そこには、百畳敷きの大広間のある建物や従業員保養のために宿泊できるいくつかの小部屋のある建物、階下には大浴場や家族風呂も完備され、海岸に突き出た場所には和風の別荘、山手には2棟のコテージなどがあったが、戦後のこともあってあまり使用されていなかった。
シェパードさんは、この施設をボーイスカウトのために譲渡してもらおう、と在阪在日米軍下士官クラブに呼びかけ、寄金を募り、当時の「ボーイスカウト和歌山第2団」の父母にも基金出資を呼びかけ、スカウトたちも大阪市内の在日米軍将兵家族の居住するホテルに出向き、交替で真珠貝を販売して資金集めも行ない、所有者の丸善石油と交渉し、買収することが出来た。
昭和25年春、ボーイスカウトや保護者の総出で草刈りや整備作業をし、そして「浦島トレジャー・アイランド(Urashima Treasure island)」と名づけられ、毎週末には、ボーイスカウト活動の場として利用され、夏休みには大阪・浜寺在住のアメリカのボーイスカウトたちもキャンプを楽しんだ。
一時は、管理人も居住していたが、維持費が続かず、三十数年前から廃墟となってしまった。
現在「社団法人・浦島キャンプ維持会」の所有で、建物の無い自然のままの空き地で、登記上わずか600余坪の広さだが、目の前が海岸であり、一個団の活動には充分の場所である。
ただ、飲料水の確保がないので、利用の際は、飲料水の持参が必携である。