「スカウト交流レポート」シリーズB

アメリカ 藤本 正則 先生(Mr.Masanori Fujimoto)
30数年前、ボーイスカウト日本連盟から「世界は一つ、伝統の379隊」の16mm映画を借用して、アメリカで
活躍している「高野山ボーイスカウト379隊」を初めて知りました。1997年1月、シェパードさんが、コロラド州
クレストンに住まわれていた時、初めて渡米し10日間滞在、ニューメキシコ州サンタフェまで、シェパードさんと西部劇
映画によく出てくる「リオ・グランデ」川沿いに二泊三日のドライブをしました。帰路は、サンフランシスコのYHで三泊し、
ロサンゼルス・サンタモニカのYHでも三泊し、ダウンタウン行きのバスで、BSA/LA地方連盟のオフィスも訪ねました。
バスから降りてから道に迷ってウロウロしていた時に、青年を見つけて尋ねたら、「友だちを待っているのだが、まだ時間が
あるから、」と言ってオフィスまで案内して連れてくれて、その彼は、道すがら子どものころ、カブスカウトに入っていたと
も話してくれました。
その時には、ロサンゼルスの「高野山ボーイスカウト379隊」のことをスッカリ忘れていました。
その約2年後、1998年11月、コロラド州フォートコリンズにあるコロラド州立大学(CSU)の日本語科のボランティア
で二度目の渡米の往途、アナハイムのフラートンYHに三泊していたところ、同室の中国系青年がLAのダウンタウンまで行く
から一緒に乗せてあげると「リトル東京」に出かけて周辺を散策。そこで「高野山米国別院」の門柱を見つけ、映画の「高野
山ボーイスカウト379隊」のことを思い出したのです。思い切って「寺務所」を訪れ、ボーイスカウトの話をしたところ、
寺務所の若い方が電話で藤本先生を呼び出していただいて、翌日、再度、訪問して初めてお目にかかったのです。たまたま、
その日は「伝統のラッパ鼓隊」の練習日でしたので、聞かせていただきました。
そして、藤本先生ご夫妻が和歌山市ご出身だということも知り、不思議なご縁を感じました。
それ以来、2002年大阪・舞島での「第12回日本ジャンボリー」に来日された際に、和歌山にご招待。2004年6月には、
弊団の「分封発団満25周年記念海外ツアー」で渡米し、交流。今年の「第13回日本ジャンボリー」でも

ジャンボリー会場と東京での2回、再会しました。

← 藤本先生ご夫妻と(1998年)
*「高野山ボーイスカウト379隊」は、1931年、高野山仏教寺院の支援により発足。
1935年、当時のルーズベルト米国大統領よりナショナルジャンボリーへの招待を受け、
日系アメリカ人グループとして唯一、米国大統領に拝謁した。ラッパ鼓隊は有名。